一考:「危機に立つ日本」 - 森永卓郎」に対する反証

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経済アナリスト森永卓郎氏は偏った社会主義的な考え方であり、傾倒することはないものの、話も著書もわかりやすく面白いのでよく拝聴・拝読する。しかし、コラム危機に立つ日本」 - 森永卓郎

 石原氏のこれまでの主張は、「日本が世界に対して強い発言力を確保するためには、核武装することが必要だ」というものだ。そして、「現実問題として核武装が不可能なら、少なくともやる気になればいつでも核兵器を製造できる状態にしておくことが抑止力につながる」という主張もしてきた。それを実現するためには、プルトニウムを生成し続ける原発を稼働させておかなければならないのだ。

と述べ、原発再稼働と核武装を結び付けている。また、最後には

いま日本の平和が戦後最大の危機にさらされているのだと思う。

とまとめている。この推論は、事実誤認や思考の過程に無理があるので、反証を記す。

まず原発再稼働は核武装の必要条件ではない。それぞれ、経済性、及び国防の問題であり、ここは分けて考えるべきであろう。
日本政府は毎年、「我が国のプルトニウム管理状況」(http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2012/siryo39/siryo2.pdf)として保有プルトニウムの量を公表しているが、それによれば平成23年度で国内に大よそ10t、海外(英、仏に再処理委託している分)35tの計45t、1万発以上の核爆弾を作れるだけのプルトニウムを既に持っているのである。また、各原子力発電所にある使用済み燃料のプルトニウム推定量159tも考慮すれば、核兵器が目的なら、もう原子力発電を動作させる必要はないのである。むしろ、IAEAとの協約から、持ちすぎたプルトニウムを減らすために、MOX燃料としてプルトニウムを一緒に燃やすプルサーマル計画として、原発を稼働させる必要がある(2030年に脱原発と言われる最中に大間原発の建設が再開が決定したのも、フルMOX燃料を使用する国内初の原発であるのが理由の1つだろう)。


次に、特にきれいごとでなんでも解決すると思う、厳しい交渉事をあまりされていないと思われる人々の発言には、外交(に限らず交渉事)ではあらゆるカードを保持しておく必要があるという前提がない。実際に核武装するか否かは別として、核武装というカードもその1つとしてシミュレーションするのは、必要なことであろう。

例えば外交問題として竹島、尖閣諸島の問題が起きたばかりであう。特に中国の動向は興味深いので、時間軸を広げて考察してみよう。まず過去にさかのぼれば、中国は1970-80年代に軍事衝突の末、ベトナムから南沙諸島を手中にしている。また、米軍が撤退直後のフィリピン・ミスチーフ礁に建造物を構築し、既成事実を構築した。
次に現在だが、過去の流れ、最初は一般人を装った漁船を派遣し、そのうち海洋監視船が訪れ、最後に軍が行って実効支配を確立してきた手法は、今の尖閣問題が具体的にどの段階であるか、もっと言うとアメリカの圧力もあって次のステージに進めないでいると理解できる。
そして未来に目を向ければ、今後中国の軍事力がますます増すのは疑いようのない事実であり、日米同盟のアメリカ軍は影響力も減っていくだろう(そもそも、日本国内でオスプレイの問題化や、基地不要論などもあり、グァムやオーストラリアにシフトする動きもある)。そうした時、日本はどのようなカードを保持できるか、逆算して考える必要がある。

そもそも、領土は固有か否かが争点になることが多いが、世界の現状を見れば領土か否かは固有と関係なく、既成事実と守る意思と力関係と外交の成果によってのみ成り立っている。アラブがイスラエルを、アルゼンチンがフォークランドを、インディアン(ネイティブアメリカン)がアメリカ本土を、アボリジニがオーストラリアを、アイヌの人が北海道を我々の固有の領土だと言って認められるか?否であろう(ヨーロッパが植民地の独立を認めた例をあげられるかもしれないが、あれは本国の財政上の問題である)。

問題は、得てして物事のトレードオフとなることが多いが、「領土問題」「原子力」「米軍の基地」などとシングルイシュー化されて全体像を見なかったり、冒頭のコラムのように関係のないものを無理やりくっつけて、誤った解を出さないようにしたい。

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This page contains a single entry by Yuki published on 2012年11月24日 22:39.

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